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神戸新聞の記事を読んで 『原爆遺児の母 運命を全う』

今朝(2015年8月6日付け)の神戸新聞に載っていた記事に心を動かされたので、
今日は、そのことについて記したいと思います。



題名は 『原爆遺児の母 運命を全う』
サブタイトルは 『すすむべき道 精いっぱいに』
記事の上部に黒抜きの文字で 『引き取った息子 阪神淡路で犠牲』



私は新聞を手に取ったとたんに、その文字の群れが目に入り、思わず紙面に釘付けになってしまいました。

現在92歳のM子さんが、原爆遺児となった従弟の2歳の男の子を引き取ったのは23歳のときです。
周囲の人々からは 「結婚できなくなる」 と反対されましたが、 「命をかけてこの子を守る」 と決意されたそうです。
以来、M子さんは働きながら、懸命にその子を育ててこられました。そして、病身の母親の面倒も見ておられました。

母親が亡くなられてからは、西宮市に引っ越しました。


そしてあの震災の日をむかえます。

1995年1月17日。阪神・淡路大震災。
マグニチュード7.3

特に震源に近い神戸市市街地は甚大なる被害を受けました。
神戸市は今でも復興途中。仮設住宅の問題も片付いていません。
あのころは、携帯電話も普及しておらず、インターネットもなかったため、東日本大震災のときよりもうんとうんと対応が遅れました。

テレビの画面を 生々しいニュースがひっきりなしに流れていました。




あの日も、息子さんは仕事に行くため、1月17日の午前3時半に起きて自宅を出られました。そして、阪神淡路大震災 に巻き込まれました。高速道路(阪神高速神戸線)を通過中、その 高速道路の倒壊 にあい、車は大破したそうです。


阪神高速が大きくうねり、横倒しになっていた映像は、震災当時はもちろん、今まで何度も目にしてきました。
これがこの世の現実…? と、何度も思ったものです。
M子さんの息子さんはあのとき、阪神高速で犠牲になられたのです。


享年51歳。


M子さんは2年前に体調を崩したため、老人ホームに移られましたが、そのときに手違いがあって、息子さんの位牌も遺影も失ってしまわれたそうです。


なんてこと…。



(他の詳細は省かせて頂いています)




M子さんの息子さんのご冥福を 心からお祈りいたします。




記事を読んで、私は言葉を失いました。
新聞を目の前のテーブルの上に置くと、ソファに座りこんだまま、しばらく動けませんでした。




嗚咽を我慢する中で、
いっぱい、いっぱい、いっぱい、考えて…
( 家の中で、なんで嗚咽を我慢するのか分からないけれど… )

『 私は私なりに、やっぱり毎日を精一杯生きていくしかないンだ…』 と、深く心に刻みました。




今日の神戸新聞第1面 27面に記載されていた記事の感想(?)です。
この記事をネットで検索してみましたが、何も出てきませんでした。
神戸新聞ネクスト の有料サイトでしか見ることができないのかもしれません…?


心の動きを言葉にするのはたいへん難しいことだと思います。
心の中にあふれ出た感情を 理性というフィルターにかけて、知っている日本語に当てはめ、言葉として変換し、それを文章にしなければなりません。
でも、ほんとうに心が動いたとき、心はアレルギー体質っぽく過敏になっていて、とても分析したり検討したりすることに耐えらる状態ではありません。
(読書感想文なんてものも、ほんとうに感銘を受けた本については書けないものだと思っています。超のつく文豪以外は…)
だから…
一応、感想ということにしていますが、感想が感想になっていないこと、ご了承くださいませ。
( 単なる言いわけデス。すみません[たらーっ(汗)]


今日も前を向いてがんばりましょう…。
私なんか、まだまだヒヨッ子だし…[たらーっ(汗)]
とりあえず、この泣き顔をナンとかすることにいたしましょう…  FTvT) [あせあせ(飛び散る汗)]


今日はあの記事の余韻を引きずりながらがんばります[るんるん]
それも亡くなられた息子さんの供養に(多少なりとも)なるように思います。


合掌



   

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